研究紹介

2021年取材

細胞の気持ちに寄り添う オンリーワンの再生医療支援研究スタイル

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応用自然科学科 バイオテクノロジー学科目 生物プロセスシステム工学領域 
紀ノ岡 正博 教授

「患者さんを治したい」が再生医療支援研究のモチベーション

再生医療とは失われた器官や臓器の再生を目的とした治療であり、これまでの医療概念を根底から変革する根治治療への道を拓くことが期待されている。世界中で研究開発競争が繰り広げられているものの学問としては未だ確立されていない再生医療だが、社会的ニーズが大きく社会実装(産業化)への取り組みも同時進行で進められている。ただし、医療現場で患者を治療する医師に「再生医療に使われる細胞」(以下、再生医療等製品)を安定的に届けるためには、製造、評価、ルールなどに関する膨大な課題を全て解決する必要があり、一つでも課題が残ったままでは社会実装は不可能だ。このような再生医療の社会実装に向けた包括的取り組みを進めているのが紀ノ岡正博教授だ。
「私は学位取得後、留学先のスイスで火傷や潰瘍の再生医療の研究に携わりました。そのとき、患者さん達と直接話す機会があって、再生医療に対する切実な期待の大きさをひしひしと感じたのです。それ以降、私の研究生活の最大のモチベーションは「患者さん」になり、再生医療技術の社会実装に取り組み続けています。いくら実験室レベルで再生医療の技術が進んでも、原料から再生医療等製品が安価に生産できないと患者さんには届きません。患者さんが安心して再生医療治療を受けられるように、私は原料から最終製品まで、生産プロセスに関わる全ての課題に関する研究や取り組みを進めたいと考えています」

コトを起こして社会実装を進める「細胞製造コトづくり拠点」

再生医療の現場に患者さんが求める再生医療等製品を安定的に届けるためには、造る設計、育む設計、診る設計などを含む細胞製造の設計など幅広い領域での支援研究や取り組みが必要になる(下図)。

細胞製造の設計

一つの研究室や大学だけでの対応は不可能だ。そこで紀ノ岡教授は「モノをつくることがポイントではなくて、コトを起こすことがポイント。そこまでいかないと社会実装は進まない」との理念のもと、2016年に工学研究科産官学連携型融合組織で構築され、20201年4月から本格的にテクノアリーナで始動した「細胞製造コトづくり拠点」が要だと語る。この拠点では、「モノづくり」「ルールづくり」「ヒトづくり」により、再生医療の社会実装というコトを起こそうとしている。

「モノづくり」 最適な細胞製造の実現に向けた、各プロセスのコアとなる細胞製造技術の開発とシステム化
「ルールづくり」 製造や品質評価の規制対応や国際標準化による環境整備
「ヒトづくり」 モノづくりとルールづくりを理解できる人材の育成

社会実装を目的とする「細胞製造コトづくり拠点」は、吹田キャンパス内で無菌細胞製造装置の開発を進めてきた(下写真,造る設計)。これは研究のための装置ではなくて、実際の細胞製造に使える装置だ。

無菌細胞製造装置

「我々が開発しているのは、そのまま工場に納めても良いレベルの実機です。安価かつ安定的に再生医療等製品を製造するには、人の手をできるだけ使わないように、自動化(機械化)を進めました。自動化や無菌化の技術は、拠点のメンターである共同研究講座や協働研究所の企業に相談しながら開発しています。最終的には自動化を突き詰めて、全プロセスの無人化を目指しています」
実機とは本物の製造装置のことを指すが、本物と認められるためには一定の基準が必要だ。しかし、「細胞製造コトづくり拠点」が実機開発を開始したときは基準となるルール自体が存在しなかったため、再生医療等製品製造の実機とは何かという定義から構築する必要があった。そのため紀ノ岡教授は厚生労働省の無菌細胞製造のガイドラインづくりに尽力するとともに、ISO※1におけるアイソレータシステム※2の無菌操作法に関する国際標準の発行を、世界リーダーとして牽引した。研究だけでなく、製造や品質評価の基準づくりにまで積極的に取り組むその姿勢からは、社会実装に向けた強固な意志がビリビリと伝わってきた。

細胞の気持ちに寄り添う地味な研究が面白い

昨今、世間の注目を集めるiPS細胞による再生医療の場合、医療現場の臨床医が求める再生医療等製品は心筋細胞や網膜色素上皮細胞など疾患に応じて様々だ。これら全てに関する製造プロセスの体系化に取り組んでいるのは、日本では紀ノ岡教授率いる「細胞製造コトづくり拠点」だけだ。
「普通の研究者は一つの部分の研究に深く入っていくので、私のように再生医療技術を支援する細胞製造プロセス全体を扱っている研究者は他にはいないと思います。特異なオンリーワンになってしまった。ただし地味ですよ(笑)。派手な論文が出るわけではない。地味だけど面白くて、全体を通してルールまで語れる研究者は私以外にはいないと思います。私自身の専門が生物化学工学ですので、広く浅くという研究スタイルがピッタリ合ったのでしょうね」

細胞を上手に製造する秘訣を訊くと、「細胞の気持ちがわかること」という答えが返ってきた。
例えば満員電車のようなぎゅうぎゅう詰めの環境で細胞を増やしていくと、ゆったりとした環境で育ってきたものと比べメカノトランスダクション※3という現象により、望んだ品質ではない、逸脱した細胞ができやすくなる。そうならないように、容器の中に入れる個数や入れた場所などの違いに気づいてあげて、細胞の「居心地」を気にかけてあげることが重要だという(育む設計)。

iPS細胞の大量培養装置

「細胞の気持ちがわかるようになると、逸脱を防ぐこともできるようになります。逸脱しそうな細胞を見つけて、慰めてあげたり心地よい環境に変えてあげたりして、なんとか素直に育ってもらうのです。道を踏み外しそうな子供に、声をかけてあげる感覚ですね。細胞の気持ちを理解して、どう整えてあげるかが大事です」

無人化製造と人体シミュレーションへの想い

紀ノ岡教授の今後のテーマの一つは完全無人化製造プロセスによる再生医療技術の産業化。そもそも産業化を実現するためには最終製品の価格を抑える必要があり、その鍵となるのがこれまで培われ統合された無人化技術なのだ。
「患者さんが求める再生医療等製品を迅速かつ効率的に医療現場に届けられるよう、5年後の完成を目指して無人化製造プロセスの開発に取り組んでいます。実現のためには細胞の安定的な培養技術をはじめ、品質評価のためのセンシング技術や無菌状態での機械化技術など様々な技術が必要ですが、多くの企業・大学・国研の力を借りながら進めていきます。
また、細胞製造に関するデータをもとに、この細胞とこの装置ならいつどのような品質の再生医療等製品ができるか、そんな製造シミュレーションも行なってみたいのですが(診る設計)、将来的にはコンピュータ内に人の身体を再現し、さまざまなシミュレーションを行いたい。バーチャル・ヒューマンに病気に罹ってもらって、再生医療による治療を試したりできればいいですよね。このテーマは私の学問的好奇心によるものです。段々実現に近づいてきているものの、私が現役のうちにはちょっと難しいかなと思っています」
さらに紀ノ岡教授の発想の先にあるのが、なんと、「一人に一台」パーソナルユーズ用の細胞製造装置だ。
「人の細胞は、人の身体で育てるのが一番なのです。人間の身体は食物を効率的にエネルギーに変換できる工場ですから。カートリッジタイプの細胞製造装置を自分の身体に装着して細胞を育てることができれば、一番コストを下げられるはずです」
自分の身体に装着した製造装置で育てた再生医療等製品で自分の身体を再生させる、そんな夢のような未来が来るかもしれない。

※1 ISO : International Organization for Standardizationの略称、国際標準化機構
※2 アイソレータシステム : 細胞の調製,培養,加工,保存などの工程を閉鎖無菌環境内で行うための装置
※3 メカノトランスダクション : 機械的刺激により、細胞内の生化学的シグナル伝達が変化を起こすこと

紀ノ岡 正博 教授

応用自然科学科(バイオテクノロジー学科目)

応用自然科学科(バイオテクノロジー学科目)

生物プロセスシステム工学研究室(紀ノ岡研究室)