我々が直面しているインフラ維持管理の課題
いま仮にあなたが、ある自治体のインフラ維持管理部門の責任者であったとしよう。町のいたるところで道路や橋の老朽化が進行し、地下を走る何万本もの下水道管も点検・補修が必要だが、使える予算には限りがあり専門知識のある技術者も常に不足気味だ。限られたリソースでインフラを維持管理するにはどうすればよいか、あなたは地図を前にして頭を抱えることになる・・・。補修の優先順位を間違えれば、過去のトンネル事故のような大惨事にもつながりかねないからだ。
このような「インフラマネジメント」の問題解決に統計分析やデータサイエンスを駆使して取り組んでいるのが、地球総合工学科の貝戸清之准教授だ。
目視点検データからインフラの劣化・寿命を予測する
インフラの老朽化や近年における自然災害の激甚化により、インフラマネジメントはいま最も注目されている研究分野のひとつだ。インフラマネジメントの研究には様々なテーマが存在するが、その中でも重要なのがインフラの劣化予測だ。劣化予測にもいろいろなアプローチ手法があるが、かつて民間企業の研究員として橋梁点検の経験を持つ貝戸准教授は膨大な点検データに着目した。例えば橋の場合、5年に1度、技術者が目視点検により健全性を数値で評価する。橋に限らず日本のすべてのインフラは目視点検が必須であるため、膨大な目視点検データが蓄積することになるのだ。ところが、その膨大な点検データは、これまであまり活用されてこなかった。なぜなのか?
「理由のひとつは、目視によるデータが『汚い(粗い)』ことです。センサーなどの機器で測定したのではなく人の目視によるデータですから、点検者によって違いが生じてしまうのです。しかし、実際に使えるのはこの点検データしかありませんから、統計分析をうまく使って、『この自治体における橋の平均寿命は何年』というようなマクロな劣化予測(下図上)を導き出すことに成功したのです。そしてデータサイエンスの飛躍的な進歩により、今では地域全体の橋の平均寿命のみならず、1つ1つの橋すべてについてのミクロな劣化予測(下図下)も可能になりました」
ある地域の橋梁の劣化予測
過去にも点検データからの劣化予測の研究は行われたが、いずれも失敗に終わっている。実際のインフラの寿命よりも長期の劣化予測結果が出てしまったという。これは補修計画を立てる上で致命的な問題だった。過去の失敗例と貝戸准教授の成功を分けたものは何だったのだろうか。
「過去の研究を調べてみると、分析に使用されたデータをとった1回目と2回目の点検のあいだの期間に、記録にない補修が行われている可能性があることがわかりました。この補修の影響で、劣化予測が不正確になっていたのです。そこで私は、点検と点検のあいだに補修がないことが明らかな2回分のデータだけを用いて予測するようにしたのです」
暗黙知を形式知へ「見える化」し、並行して社会実装へ
貝戸准教授が開発した統計的劣化予測手法は、インフラの維持管理に関する戦略を立てるうえで非常に有効だが、これまで日本のインフラはいかに維持管理されていたのだろうか。
「点検データを統計分析して精緻な劣化予測を行ったのは、おそらく私がはじめてですが、日本のインフラがこれまで適切に維持管理されていなかったわけではありません。私が分析したような劣化や寿命の予測は、現場の専門家の頭の中にはしっかりと入っているのです。たとえば、平均的な寿命に対し実際の寿命がどのくらいであるのか、専門家であれば交通量やコンクリートの厚みなどさまざまな要因を考慮して予測することができ、自身の経験に基づいて補修や更新の必要性を判断してきたのです」
ただし、これら専門家の経験や勘に基づく暗黙知は、説明責任が求められる場では客観性を持たせることが難しい。一方、貝戸准教授による点検データを使った劣化予測は、現場で培われてきた暗黙知を形式知へと「見える化」していくものだといえる。この「見える化」により、これまで共有することが困難だったベテラン技術者のノウハウを組織で共有することも可能になるはずだ。
そして目視点検データを活用した劣化予測は、舗装、橋梁、下水道、斜面など、あらゆるインフラに適用可能だ。データの数が多いほど信頼性の高い予測結果を導き出すことができるため、100万から200万件ものデータが集まる舗装分野(橋梁は5万件程度)が貝戸研究室の研究の約5割を占めている。
分析に使う目視点検データはインフラの管理者から提供してもらうため、研究は企業や自治体と共同で進められることが多い。貝戸准教授は、NEXCO西日本や阪神高速道路、国土交通省の近畿地方整備局、大阪市と連携して研究を進め、劣化予測をもとにインフラの補修計画を立てるなど、社会実装への試験的な取り組みも進めている。研究で得られた予測を現場の経験的知識と照らし合わせ、ずれがあるようなら予測結果を補正していくという形で予測精度向上に努めている。
点検データがないインフラの劣化予測や新設インフラへの展開
橋梁や道路は、予算と時間さえかければ目視点検することが可能だが、目視点検を徹底できないインフラも存在する。その一つが地面の下を走る下水道管だ。大阪市の地下にはコンクリート製の下水道管が約12万本も埋まっていて、マンホールからカメラを入れるなどして健全性の調査が行われてはいるが、点検ができていない箇所も残るのが現状だ。これに対して貝戸准教授は近接する下水道管に着目して、点検データがない下水道管の劣化予測法を開発した。
「調べてみると、状態の悪い下水道管のそばにある下水道管は、同じように状態が悪いという関係性が見えてきました。この関係性を使って、点検できていない管についても寿命や劣化を予測する方法を開発して、約12万本の下水道管すべての劣化を予測したのです。この詳細な劣化予測(下図左)は、学術的には非常に価値があったのですが、実務で使うには細かすぎると指摘を受けました(笑)。確かにその通りですので、地域ごとの補修工事の優先順位が一目でわかる劣化分布地図(下図右)にまとめました」
大阪市の下水道管の健全度分布と地域ごとの補修優先度の見える化
また、維持管理のための劣化予測は、高速道路の車線増設など、インフラの新設にも活用可能だ。先に作られた車線の舗装劣化の度合いは、降雨量や気温などの要因によって、建造当初の予測と異なっていることが多い。貝戸准教授はそれらの要因を加味した劣化予測を行い、より長く使えるような新しい車線の舗装設計法を提案している。
インフラ管理の統合や他分野への応用を目指して
貝戸准教授に、今後の展望を尋ねてみた。
「現在、日本のインフラを管理している行政組織はばらばらで、橋梁、舗装、下水道は国土交通省、上水道は厚生労働省、工業用水や電気、ガスは経済産業省、通信は総務省です。同じ地下にあるインフラでも統括している省庁が異なり、情報共有も行われていません。そこで、これらのインフラを統合して管理する構想をスタートさせています。
加えて、まだ具体的には何も決まっていませんが、我々のデータ分析技術をインフラ以外の他分野のデータに応用できないかというアイデアもあたためています」
地下埋設されているインフラ群
文理融合領域の研究でどんどん挑戦してほしい
貝戸研究室の大きな特徴は、工学部でありながら経済学的な研究も行っている点だ。
インフラの劣化予測は工学的な問題だが、その劣化予測をもとにして企業や自治体の予算制約下でいかにインフラを維持管理していくかというのは経済学の問題。つまりインフラマネジメント学とは文理融合の学問領域なのだ。
もちろん研究の中心は企業や自治体から提供されたデータの分析であり、それに必要となるのが統計学などデータサイエンスの知見だ。ということは貝戸研究室にはデータに強い数学好きの学生が集まるのだろうか?
「統計学のいいところは、必ずしも数学的な専門能力が必要でなく、地道な努力を重ねることが必ず良い結果につながるところです。私の研究室に来ている学生さんたちも、みなこつこつと研究に取り組んでいます。もちろん失敗することもありますが、学生時代というのは人生の中で『何度失敗してもよい期間』のはずです。失敗を恐れず、どんどん挑戦してほしいと思います」
インフラを守るためのシステム構築にデータサイエンスを駆使して取り組む貝戸清之准教授の挑戦に、これからも目が離せない。