既存の物質製造プロセスを革新するような新反応を求めて
我々が快適に暮らすために不可欠な、プラスチック、医薬品、液晶などの有機化合物は炭素、水素、酸素、窒素など比較的限られた元素の組み合わせでできている。これらの元素で分子を設計し、化学反応で組み上げて、目的の構造と機能を持つ化合物につくりあげることが、有機化学という学問分野の使命だ。有機化学の教科書をめくれば多くの反応が紹介されているが、工学部応用自然科学科の鳶巣 守教授は従来の定石を破る全く新しい反応の開発で優れた実績をあげている。既存の物質製造プロセスを低環境負荷、高効率省資源型へと革新する可能性を秘めた、未知なる反応開発とはどのような研究なのだろうか?
企業勤務を経て再び阪大の研究者へ
ガンプラ好きだった鳶巣少年は、結晶構造や分子の美しさに惹かれて化学の道を目指すことになる。阪大工学部4年次には有機化学の基礎研究を行っている研究室に進み、論文執筆や学会発表などさまざまな経験を積む。博士後期課程修了後は製薬会社へ就職したが、4年後に再び阪大へ研究者として戻ってきた。
「社会に役立つ実感が欲しかったので製薬会社に就職しました。でも、企業ですごすうちに、学生時代の研究生活が懐かしく感じるようになってきたのです。大学でも企業でも研究はしんどいことが多いですが、論文を出したり学会発表したときに他の研究者からの好意的な反響があると、今までの苦労が報われるような高揚感があるんです。一方、企業では研究成果を公表できないので、ちょっと物足りない。そんな思いがあり、助手として大学に戻りました」
阪大に戻った鳶巣教授が発見した新反応をいくつか紹介しよう。
炭素−酸素結合を切断し高性能ポリマーを原料に戻す!
最初に紹介するのは、炭素-酸素結合の切断を伴うクロスカップリング反応。
2010年ノーベル化学賞の対象になったクロスカップリングは、医薬品、液晶ディスプレイ、農薬製造などに応用される重要な反応だが、ハロゲンを含む原料を使うため環境負荷低減が課題だった。ハロゲンを使う理由は簡単で、炭素との結合力が弱くその位置で反応させるのが容易だからだ。
この課題に対し鳶巣教授は、環境負荷も毒性も低い酸素を含むありふれた化合物でクロスカップリングに成功した。炭素-ハロゲン結合よりも強い炭素-酸素結合をニッケル触媒で切断したのだ。
この炭素と酸素の結合を切断する反応は、高性能ポリマー(樹脂)を分解して原料に戻す技術につながるという。
「車のボディに使用されている400℃でも溶けない高性能ポリマーは分解するのが非常に難しい。炭素と酸素の結合を切断できるニッケル触媒を使っても、現在使われている高性能ポリマーそのものを分解することはできません。なので、逆にこの触媒反応で分解できる、新しい高性能ポリマーの開発に挑みました。その結果、400℃でも溶けないのに、触媒を使うと160℃で分解されて原料に戻るミラクルなポリマーの合成に成功したのです。現時点ですぐに、この高性能ポリマーを産業化することはコスト面でまだまだ難しいですが、基礎研究の成果を社会課題に当てはめることができた良い例だと思います」
結合を1本も持たない炭素・・のような新反応!?
次に紹介するのは、1個の炭素原子を狙った場所に正確に埋め込める、驚くべき新反応だ。
私たちは教科書で、炭素は4本の結合(手)を持つことを学んできたが、実際には3本〜1本の結合しか持たない状態の炭素が不安定ながらも存在し、その利用法も確立済みだ。しかし、結合を1本も持たない炭素原子は仮想的には存在するが、極めて不安定でものづくりへの利用は不可能だと考えられていた。鳶巣教授は偶然発見した炭素原子のように振る舞う安定な化合物(等価体)を使って、1段階で炭素原子に4つの結合を形成する、つまり、特定の場所に炭素原子1個を埋め込める反応を発見した。この驚くべき研究成果は世界的に特に権威のある学術雑誌「SCIENCE」に掲載され大きな反響を呼んだ。
「炭素原子の等価体だと分かったN-ヘテロ環状カルベンは試薬会社から買えるようなありふれた化合物で、まさかこれが炭素原子の等価体として振る舞うなんて誰も知らなかった。この等価体で、形式的に炭素原子そのものを反応に使うことに成功したことが一番のサプライズでした。最小のプロセスで最大の構造の複雑性を作ることができる効率的な反応として興味深いものです。」
「この論文が「SCIENCE」web版に出たときの反響はすごくて、コメント欄にさまざまな言語のすごい数のコメントがブワーっと入ってきた。研究者として凄く嬉しかったですね。実はこの等価体を見つけたのは完全な偶然。別の反応でN-ヘテロ環状カルベンを触媒に使おうとしたら、化合物に取り込まれてしまった。これは困ったなと思っていたとき、学生の一人(現当研究室のスタッフ)が「炭素原子一個だけが埋め込まれてますね」と話すのを聞いて、炭素原子を体現する反応であることに気付き、研究室がどっと湧きました!予想外の生成物を丁寧に単離して分析してくれた研究室メンバーのハードワークの賜物です」
セレンディピティを見逃すな!
このように鳶巣教授が発見した新反応の多くはセレンディピティ(偶然の発見)によるものだ。予想外の実験結果から、有用な情報を探り当てるコツのようなものはあるのだろうか?
「私は学生時代に、偶然の発見が大化けして大発見になる場面を何回も目の当たりにし、自身もそんな経験があったのでその重要性は身に染みています。でも経験の浅い学生さんはそういう経験がないし、言われたことがそのままうまくいくのがベストと思いかねない。わたしたちは、知らず知らず常識にとらわれてしまっています。だから、研究室の中で予想外の実験結果が出たときは、「すごいのができたな!」と、“予想外”を歓迎する雰囲気をつくり、その結果にどんな意義があるかを、皆で議論して常に見極めるようにしています。もちろん、いい結果につながらないことは多いのですが、大発見につながるチャンスを見逃さない姿勢を研究室のメンバーと共有しようと努めています」
フラスコの中から世界を変えるような発見が出てくるかも!?
最近注目を集める、AI 、ロボティクス、核融合といった物理系の研究では、最先端の装置を使って、巨大なスパコンでのシミュレーションという場面が頭に浮かぶ。しかし、鳶巣研究室を覗いてみると・・失礼ながら、フラスコやビーカーといった中学・高校の理科室とそんなに変わらない実験室のように見える。このような環境から「SCIENCE」に載る研究成果が生まれる有機化学とはどのような研究分野なのだろうか?
「有機化学の基礎研究では、試してみたいなと思ったことを、すぐに手軽な実験装置で試すことができます。ちょっと古臭く見えるフラスコの中から、それこそ世界を変えるような発見が出てくる可能性があるんです。実験や何かを探求することが好きな人なら、やりたいことをいくらでもできる世界だということを高校生や受験生の皆さんには知ってもらいたい。大学の化学は暗記科目とは違う創造的な学問領域で、研究室ではだれでも良いアイディアが思い浮かんだら、実験によってそれをすぐにお手軽に試すことができます。お手軽であるにも関わらず、それは世界最先端の研究への入り口にちゃんとなっているんです」
教科書に載るような反応を見出したい!
有機化学の魅力を楽しそうに語る鳶巣教授に学生に一番求めるものを訊ねると、少し間をおいて「主体性かな」という答えが返ってきた。何事にも自分事として取り組む姿勢を持って、納得のいかないことや不満があれば立場に関係なく話し合い、お互い納得のいく形で研究を進めるのが鳶巣研スタイルだ。ここからは、何をやりたいか、なぜこれをするのかを自分で考えて、モチベーションを上げていける人材が毎年巣立っているのだろう。
最後に今後の抱負を聞いてみた。
「私は基礎研究をやる以上は、化学のことを知らない人でも、「これはすごい!」と思うレベルの研究成果を残したい。有機化学の教科書に書き足せるような反応を見出したいという野望を胸に、チームのメンバーと一緒に楽しみながら進んでいきたいです」